健常

健常だって関係ない!夢を持ちましょう!

夢を持って頑張っている健康な学生や、しっかりしていてハキハキしている健康な働いている人を見ると、とても輝いて見えますよね。
そして、そういう人たちと話していてもとても気分が良いですし、自分も頑張ろうって元気をもらったりします。

ですが、健康でない人を見ていても元気はもらえないのか?と思うかもしれませんが、それもまたちがうと思います。
たとえ、五体不満足で身体的に健康でなくても、今、その人が自分で何をできるのか考えて行動している人は見ているだけで「頑張っているなぁ」と思い、
こちらも頑張らなければと思えると思います。

大分前にこのような事故が起こりました。
運動やスポーツが大好きな人がいたのですが、学生時代は運動部に所属し、将来の夢も「体育教師」というほど身体を動かすことが好きな人でした。

その人は、毎日ジムや体育館を借りて、人とスポーツをしたり、一人でも練習をしたり、教師になるために猛勉強しました。
そして、ある日、ついに念願の体育教師の免許をとることができたのです。

生徒に体育の授業をしたあとに、まだまだ体力が有り余っているその青年は放課後に一人で運動場でランニングをするほどでした。

ところが、ある日の体育の授業のとき、生徒のみんなに跳び箱の見本を見せてあげようとした際に失敗をしてしまって、頭の後ろから落ちてしまい強く頭を打ってしまったのです。

頭というのは、人間の体を動かしたりするのに大切な部分なんです。特に頭の後ろからの衝撃からは人間は弱いのです。
その人は脳の神経の一部が壊れてしまって首から下が一切動かせない身体になってしまいました。

あなただったら、こうなってしまった場合どうしますか?
少し想像しにくいかもしれませんが、もし、あなたが普段している楽しいことが、突然自分の体が動かないことによってできない
好きな食べ物でアレルギー反応が起きてしまって、命の危険もあるため一生食べてはいけない、一生食べることのできないようになってしまったとき、
あなたは堪えることができるでしょうか?

しかも、この青年は「好きなことができない」だけではありません。
「自分では何もできない」のです。
できることと言えば、「しゃべること」などの「口を動かすこと」だけでした。

なので、ベッドから置きあがることはおろか、ご飯だって誰かに食べさせてもらわなければいけません。
また、トイレまで連れて行ってもらって用を足すのではなく、その「トイレをする」こと自体ができないので、尿や便を取ってもらうしかなかったのです。

若い20代後半の青年が、このようなことに耐えられるでしょうか?

この青年は、自分の大好きなスポーツをすること以外にも、普段皆さんが何気なくやっていることさえもできなくなったのです。

このようになってしまって、もちろん、青年は生きる希望を失いました。
学生時代から「体育教師」を目指して一生懸命に努力をし、ついに念願の体育教師になり、クラスも受け持ったのにもかかわらず、
わずか、半年で夢が終わってしまったのです。

しかも、自分が生きていることによって両親やその他大勢の方のお世話に一生なっていかなければならないことを考えると、
とても迷惑がかけれないと思い、自殺を考えてしまいました。

しかし、自殺を考えても自分できることは限られています。
一人では出歩けないですし、当然自殺をすることはできません。

自分自身に対しての屈辱に耐えれずに、世話をしにきた母親に「殺してくれ」と頼むぐらいでした。
しかし、もちろん母親は殺さず、なんとかしてやりたいと必死に考えました。

ある日、青年が「何もできない」と悲しんでいたところを、父親が

「何もできないことはない。口があるじゃないか」

と言いました。
青年は「口があったところで…」と言いましたが、父親は「ペンぐらいはくわえることができる。文字を書く練習をするといい」と言いました。

事故を起こしてから2か月経っていて、全然笑顔を見せず、気力もなくなった青年が、父親が買ってきたペンとスケッチブックを見て、文字を書いてみようという気力が少しでてきました。

最初は「あ」を書きましたが、なかなか上手くいきません。
次第に、「あ」という一文字を毎日ずっと練習していました。

その「文字を書く練習」をした日から、青年はいきいきし、
「全ての文字をかけるようになる」と毎日練習しました。
最初の「あ」がキレイに書けた時、家族みんなで喜び合いました。

この青年はずっと「あ」「い」と一文字ずつ練習していきました。
この時にはすでに「笑顔」が取り戻されていました。
それは、「すべての文字を書けるようになる」という「目標」を経て、少しずつ近づいて行っていることに対して「喜び」という感情が湧きでてきたからです。

その次に、一通り文字を書けるようになった後は、絵を描くことに挑戦しました。
最初は丸、その次は四角、と徐々に色々な図形を描くようになりました。

しばらくすると青年は、「絵手紙」を描くことを仕事として過ごしていました。

最初から「夢」に向かって頑張っていた人は、巨大な壁を目の前にしても、めげずに、再び起き上がる力を秘めています。
起き上がるためにどうしても必要な要素は「夢(目標)」を持つことです。

大きな「夢」を考えた後に小さな「目標」を少しずつ立てていく…のが普段通りだと思います。
最初の青年のように、「体育教師になる」という大きな「夢」から、「スポーツができるようになる」、「免許取得の試験に合格する」などの小さな「目標」をクリアしていきました。

跳び箱の事件の後、青年は絶望に満ちた状態になってしまいましたが、その時のこの青年は小さな「目標」から、大きな「夢」をたてていきました。
父親から渡されたペンと紙を使って、「”あ”を書く」という小さな目標から「文字をほとんど書ける」、「図形を書く」ということになり、最終的に「絵を描く」という大きな目標になりました。

何か目的がなければ人間は動けません。
トイレをしたいから歩く、ご飯を食べたいから買いに行くなど、ごく普通の行動も何か目的があるのです。

人生も、何か目的があって行動をした方が、近づいている、遠くなっている、クリアをした、などが分かって楽しみがあると思います。
そのように何も目標などがない人はどんどんとネガティブなことを考えていく傾向にあるようです。

何事にも、大きい小さい関係なしに目標をたて、それをクリアすることを考えることが、「うつ病」を自分から遠ざける一つの方法でしょう。