理解

うつの理解はなぜされない?そんなもどかしさを感じる人へ

うつ病に関しての理解は多くの場面で見られるようになってきています。その一方で間違った理解がされてしまうことも多くなり、正しい理解をしていこうという声も上がってきています。間違った理解も正しい理解も共にうつ病に関して関心が強まっているからこそ出てくるものでああり、この流れは決して悪いものとは言えないものがあります。

うつ病に対して間違った理解がされていることも、それはうつ病の正しい理解をするためのきっかけになることもあります。大切なのは間違った知識をそのままにしないことであり、それは社会全体で行なっていくことになると言えます。

うつ病の人に関わることが多い人や、うつ気味になっている人にとっては少し価値感が変ってくることもあるかもしれません。間違った知識に対してどうしてそんな理解の仕方をするのかと憤りを感じてしまうこともあるかもしれません。

それはそのはずでありうつ病の人に関わる人やうつの症状が出てきている人にとって、間違っている知識が正しい知識に変っていくのを待っている余裕というのはあまりないことになります。憤りを感じて当然ということになるでしょう。

うつ病は誰でもなる可能性のある症状です。この「誰でも」という言葉はうつ病を多くの人にとって身近な存在へと変えていきました。しかし同時に、誰でもなるということはそれだけうつの症状を抱えていても踏ん張っている人はいるという価値感を生み出してしまうことになっていたと考えられます。

そのためうつの症状を持っていたとしても、頑張っている人がいるということからうつ病で休んでしまったり、活動ができなくなってしまった場合に「甘え」という言葉が出てきてしまうと考える事もできます。

うつ病の実態をつかむことは難しく、つかめたとしても「甘え」という考えを持っている人に対して、症状の説明や状態を説明しても理解してもらうことはなかなか難しいものがあります。症状が酷くなってはじめて理解を示す事もあると言えます。

うつ病の場合軽い時にどれだけ有効な休息を取れるかが重要であることになりますが、この「甘え」という言葉はそれを遮ってしまうことになると言えます。うつ病に対しての理解は深まってきていることになりますが、これからはより一層うつ病に対して広い価値感での理解が必要になってくると言えます。うつ病の人を支援する人にとっては、今は我慢強くうつ病の人への支援を続けていく時期であるとも言えるでしょう。