うつ病

うつは病気と思える社会が大切!そのために必要なこと

うつ病を自分自身で認める、病気として扱うことは大切になります。ですがこれはあくまでも個人の頑張りであり、個人ではどうしようもない場面は現代の社会では生まれてしまうものです。社会全体でうつは病気である、しっかりとした治療が必要であるということを考えておく必要があると言えます。

ストレス社会となってきている今の社会ではうつ病は非常に関係の深い症状になります。しっかりとした対策を考えておかないと、予防をすることも難しくなっていきます。やりがいや生きがい、そして余暇の楽しみなどはうつを予防する上で非常に大きな抵抗力になっていきますが、だからと言ってそれを強要するようなことがあってもいけないことになります。

人と人とのつながりもうつ病を考えていく上では重要になってきますが、これも強要してしまうと余計なストレスになってしまいます。

一番良くないのは、うつ病などの精神的な症状を予防するということを盾にして、自分の価値感を周囲の人に押し付けてしまうことです。うつ病への理解は人それぞれ違うものであり、それは当然のことです、ある程度枠組みの中にとどまっていることは大切になりますが、うつ病に関することを理由にその人の働き方や生き方を否定したり、変に変えようとするのはよくないことと言えます。

社会の中で、良いことをしようとして空回りしている、人に迷惑をかけているということほど悪に感じられてしまうものはないと言えます。当然悪いことをしているのであればそれは悪になりますが、悪い事に対して全力に否定することができるようになります。しかし良いことであると、全力で否定することができなくなってしまうこともあり、大きなストレスになってしまうこともあります。

うつ病の場合でも同じことが言えます。うつ病に対して過敏すぎるほどに反応してしまったり、それに対して深く考えすぎてしまい、うつの人を置いてけぼりにしてしまった場合、うつのことを必死に考えている人に対して、意見を言ったりすることはやりづらくなってしまいます。うつの人は余計に助けを呼べなくなってしまうことになります。今の社会はうつの人に対して理解が深まってきていますが、今度はうつに対して適切な距離を保てるようにしていくことが必要になると言えます。適切な距離が保てるようになれば、過剰な反応がでなくなったり、凝り固まった知識が広がってしまうことを防ぐことができます。そうしていくことで偏見などを少しでも減らしていくことはできるようになると言えるでしょう。

うつの人に対して優しい言葉から、あきらめの言葉に変る瞬間とは

うつ病は目に見える病気ではないと言えます。症状の実態、病気の実態が見えないというのは長期的になればなるほど周囲の人にとって負担になってしまうことが多いです。これはどれだけ病気などに理解を示している人であっても一時的に負担になってしまうことはあります。できるだけそうなってしまわないように周囲の人の状況にも気を配れる人がいることが大切になると言えるでしょう。

うつ病に対して理解がある人は当然うつ病の症状などを把握して、その人の状態を見つめ直してくれます。これはうつ病の人にとって大きな支えになってきます。しかし支える人が一人であると、支えになっていられる期間というのに期限が出来てしまうものです。うつ病の症状は時に、日常生活から外れてしまうような症状になったり、常識などでは捉えられないような症状を見せる事もあります。支えている人はそれを受け止めることが重要になります。

ですが支える人も同じ人間であり、時に自分の予想できない行動によって大きな負担が出てきてしまうことはあります。これは当然のことと言えます。そのような時期が長続きしてしまうと、うつ病の人に対しての優しい言葉が、だんだんとどうしようもないというあきらめの言葉に変ってしまうこともあります。

こうなってしまっては支える人は支える役割を果たせなくなっていると言えるでしょう。優しい言葉とあきらめの言葉は似ているニュアンスがありながら大きく違うものです。うつ病の人はこのようなニュアンスの違いを大きく受け取ってしまうものです。

このようなことから周囲の期待にこたえることができなかったという自信の喪失につながり、一人でうつの症状を抱え込んでしまう人は多くいます。こうなってしまう前にしっかりと周囲の人への対策をしていくことも必要です。

周囲の人はうつの人を一人で支えるのではなく、できるだけ多くの人数でうつ病と付き合っていく必要があります。うつ病と付き合っていく中で、学べることは多くなり、精神的な症状に対しての理解も深まっていくことになります。

うつ病の人は周囲の人に迷惑をかけていると考えずに、自分の状態を信頼できる人に話をしていくことが大切です。話を聞くことができないから何もできないとやきもきしている人は意外にも多くいるものです。自分と同じような感じ方をしている人がいる可能性もあります。ほんの少しの勇気が活路を開いてくれる場面もあるということが言えるでしょう。

うつの人は普通の生活をしてはいけない?うつへの偏見のあり方

偏見は社会の中でなくしていけなければいけないものです。偏見があるために苦しい思いをしてしまう人もいます。どのようなものでも偏見があるように、うつ病に関しても偏見は出てきてしまいます。それだけ注目をされていることと言えますが、時にその偏見が大きくなりすぎてしまい、中傷になってしまうことすらあります。

うつ病の症状の中で何もする気が起きないということがありますが、これに対しての偏見がうつ病の中では大きなものになっています。何もする気が起きないという言葉を素直に受け入れ、言葉どおりの意味にとってしまうと、うつ病の人が普通の生活をしていると、それはうつ病ではないという偏見が生まれてしまうこともあります。

うつの人が普通の生活をしていることに酷く大きな疑問を持ってしまう人もいるものです。確かに何もする気が起きないという言葉からは、普通の生活というものは連想しづらいことがあるかもしれません。しかし本当にそうである場合、うつ病の中でも重症であり、入院などが必要になることになります。全てのうつの人がそうであることはありません。むしろ社会全体ではそうならないように注意しなければいけないという流れになっています。

そのためうつの人でも当然普通の生活をして良いことになります。やっと普通の生活ができるようになってきたという人もいるはずです。そのようなところでうつの症状への偏見が大きな壁になってしまってはいけないことになります。

一般的に知られているうつの症状は、誰にでもイメージがしやすいように、またわかりやすいように簡略化された説明になっていることが多いです。わかりやすさを重視している情報ほどかなり極端な表現になっていることが多いと言えます。それらの情報はあくまでも一般的にイメージがしやすいように操作された情報であり、全てがその形に当てはまる事にはなりません。

何もする気が起きないと言う言葉であっても、本当に何もする気が起きない人もいれば、特定のことや、特定の時間になるとやる気などが落ちてしまうという場合もあります。特定の場合であっても、それは症状の一つであり、対処していくことが必要です。たとえうつ病でないとしても、やる気が落ちてしまっている時に適切な対処ができることは大きなメリットがあることになります。症状にとらわれすぎないように注意が必要です。うつに関わりがある人は特に注意が必要になってくるでしょう。

うつかもしれないという人に対して疑心暗鬼になってしまう人へ

苦しいことを数多く乗り越えてきた人は、精神的に強くなっていきます。しかし強くなっていく時に、自分を基準にして考えてしまう人と、多くの価値感を踏まえて物事を捉える人の二つのタイプに別れる事もあります。

自分を基準にして考えてしまう人は、自分が出来たのだから当然周囲の人もできると考えてしまい、周囲の状況を適確に判断できなくなってしまうことがあります。逆に多くの価値感を踏まえて考える人は、その人の感じ方を考え行動に移していくことになります。

どちらも長所と短所があり、どちらか一方の特徴が強すぎる場合、適切な判断が出来なくなってしまいます。うつ病に関しても同じようなことが言えると考える事もできます。うつ病の理解は比較的最近広まってきたものであり、うつ病への理解がされていなかったころに、今のうつ病と呼ばれるような体験を、軽い症状であってもしてきた人は、今現代でうつ病を抱える人に対して大きな疑問を持ってしまうことも多いです。

自分が踏ん張れてきたのに、今の若い人は情けないと感じてしまうこともあるかもしれません。確かにそのようなことは言えるのかもしれませんが、そのように疑いの気持ちを持っていてメリットはあまりないと言えるでしょう。

うつの症状を抱えている人を追い詰める事になり、自分自身うつの理解から遠ざかってしまうことになります。またうつの理解が広まっていなかった時代とは現代は大きく異なっています。自分のストレスを発散する場所は少なくなっている事になります。その影響は自分自身に及ぶ事もあり、うつ病に疑いの気持ちを持っている人がうつの症状を抱えてしまうこともあります。

うつ病に対して疑いを持ってしまう気持ちをなくしていくことはなかなかできることではありません。ましてやうつ病の疑いがある人への理解は非常に難しいものがあると言えます。しかし目の敵にすることは自分にとってもデメリットが大きいということを意識して、少しでもうつ病への理解を示していくことが大切になると言えます。

うつかもしれない人というのはある意味うつ病に至る前にしっかりと治療していける人ということになります。うつ病になる必要がない人を、疑いをもってしまうことでうつ病にしてしまうのは、自分にとっても相手にとってもあまりにも悲しい事になると言えるでしょう。うつかもしれないという人がいる場合、逆にうつを防ぐ為のチャンスと考えて行動していくことが必要になります。

形だけのうつと、本当のうつの違いは?苦しさの違いとは

うつ病の理解の妨げになっているのは、症状への理解やその人の状態の理解が難しいというだけではなく、そこから生まれてくる偽者のうつの存在があると言えます。うつそのものに本物、偽物があるのかどうかという答えを出すこと自体かなり難しいものがあると言えますが、社会的に偽物のうつは存在すると言われています。

この偽物のうつがうつ病の理解をさらに混乱させていることになります。昔から仮病という言葉があるように、自分の体が健康であっても病気であるように振舞う様子は存在してきました。自分にとって都合が悪かったりする場合この仮病を利用して、自分が苦しい重いをしないで済むようにしていくことができます。

仮病への風当たりは当然厳しいものがあります。それはある意味当たり前であり、子どもであればある程度許される事になりますが、大人になっていくにつれて仮病をする事に対して厳しく批判をされてしまうことになります。

ここではあえて本物、偽物という言葉を使っていきますが、この偽物のうつが仮病になっていくのかというと、そうではない事も多いです。うつ病の定義はある程度決まっていますが、はっきりと数値で出せない事も多く、目に見える現象として起こってくるわけでもありません。そのため実際に偽物か、本物かを判断することができる場合というのは非常に少ないと考えることができます。

医療が発展していきうつ病の実態がはっきりしてきたとしても、うつ病特有の実態のない部分は別の形で残っていく事になると言えます。それだけ精神的な症状は複雑といえる事になります。

偽物のうつ病の場合、本物のうつ病とは違う事になるので、当然苦しくないと思ってしまう人もいるかもしれません。しかし偽物のうつ病でも苦しさを感じる事もあり、本人にとっては本当のうつ病であることも多いです。そのためここまで偽物、本物という言葉を利用してきましたが、実際には偽物も本物もないと言ってしまうこともできます。仮病とはまた違うものといえる事になります。

当然何も症状がないのに、症状があるように見せる人もいることになるでしょう。その人は完全に仮病であり、偽物であろうと本物であろうとうつ病ではないことになります。このあたりの区別は非常に難しく、うつ病への理解の仕方で大きく変ってきます。何は仮病と判断する人も多くいるかもしれません。これまでに記したことはあくまでも考え方の一つと言うことができます。

うつは本当に風邪と同じなの?心と体の症状について

うつ病を他の病気と比較する時によく出てくるのが風邪になります。風邪は身体症状であり、咳や熱が出るなどの症状を見せます。うつ病とは関わりがないように見える事も多いです。しかし風邪を引いてしまうということは免疫力などの関係が弱っていることでもあり、それはうつへの温床につながってしまうこともあります。

ですが、風邪がうつ病と比較される本当の理由はそこではなく、どちらも誰にでもなる可能性があるという共通点があるからということになります。風邪もうつもどのような人でもなりえる症状であり、防ぐ事もできれば、改善していくこともできる症状と理解されることが多いです。

風邪の症状を見ていくと、一日二日休んでいれば治ってしまうこともあれば長引く事もあります。また風邪程度で休んでしまうということは今の社会ではあまり認められていない事も多く、無理をしてでも活動をすることを強要される代表的な症状となっています。

うつの症状は風邪とは違うことになりますが、誰にでもなるということから風邪と同じように無理をしてでも活動をすることを時に強要される事もあります。

うつは本当に風邪と同じなのかという疑問を感じている人もいることだと思います。当然関連している部分があるとは言えますが、違うものになっていきます。身体的な症状として明らかなものが出てくる風邪と、精神的な症状として基準となる尺がはっきりとしないうつでは周囲の人の感じ方や捉え方も大きくことなってきます。

風邪の症状であれば見るからにわかるので心配もされますが、うつ病であると軽い症状では見ただけではわからない事も多くなり、あまり心配されない状態が続きます。これは以外にも大きな違いであり、心の症状と体の症状の決定的な違いでもあると言えます。

気にかけてもらえるというだけでも、元気が出てきてしまうことはあります。他の人に理解されているという安心感を得る事もできるようになります。また風邪の軽い症状とうつの軽い症状では、活動をするに当たっての辛さは大きく違うものです。

風邪の軽い症状では少し咳がでるなと思える程度であることが多いですが、うつの場合自分でも良くわからない不安や心配が出てきてしまい、症状を適確に捉えることができない場合も多いです。それによって不安がまた出てきてしまうこともあります。風邪の場合地用のための手段や酷くなったら周囲の人も簡単に理解してもらえるという安心感が少なからずあるので、少しは安心できる事になると言えるでしょう。

うつ病と風邪は似ているように思われる事も多いですが、決して比較できるものではないと言えるでしょう。

うつの理解はなぜされない?そんなもどかしさを感じる人へ

うつ病に関しての理解は多くの場面で見られるようになってきています。その一方で間違った理解がされてしまうことも多くなり、正しい理解をしていこうという声も上がってきています。間違った理解も正しい理解も共にうつ病に関して関心が強まっているからこそ出てくるものでああり、この流れは決して悪いものとは言えないものがあります。

うつ病に対して間違った理解がされていることも、それはうつ病の正しい理解をするためのきっかけになることもあります。大切なのは間違った知識をそのままにしないことであり、それは社会全体で行なっていくことになると言えます。

うつ病の人に関わることが多い人や、うつ気味になっている人にとっては少し価値感が変ってくることもあるかもしれません。間違った知識に対してどうしてそんな理解の仕方をするのかと憤りを感じてしまうこともあるかもしれません。

それはそのはずでありうつ病の人に関わる人やうつの症状が出てきている人にとって、間違っている知識が正しい知識に変っていくのを待っている余裕というのはあまりないことになります。憤りを感じて当然ということになるでしょう。

うつ病は誰でもなる可能性のある症状です。この「誰でも」という言葉はうつ病を多くの人にとって身近な存在へと変えていきました。しかし同時に、誰でもなるということはそれだけうつの症状を抱えていても踏ん張っている人はいるという価値感を生み出してしまうことになっていたと考えられます。

そのためうつの症状を持っていたとしても、頑張っている人がいるということからうつ病で休んでしまったり、活動ができなくなってしまった場合に「甘え」という言葉が出てきてしまうと考える事もできます。

うつ病の実態をつかむことは難しく、つかめたとしても「甘え」という考えを持っている人に対して、症状の説明や状態を説明しても理解してもらうことはなかなか難しいものがあります。症状が酷くなってはじめて理解を示す事もあると言えます。

うつ病の場合軽い時にどれだけ有効な休息を取れるかが重要であることになりますが、この「甘え」という言葉はそれを遮ってしまうことになると言えます。うつ病に対しての理解は深まってきていることになりますが、これからはより一層うつ病に対して広い価値感での理解が必要になってくると言えます。うつ病の人を支援する人にとっては、今は我慢強くうつ病の人への支援を続けていく時期であるとも言えるでしょう。

「少し良くなってきた」時がうつの最も危険である時期とも言える

うつ病では自分に自信がないということや存在意義に疑問を感じてしまう場面が多くなるという症状があります。うつ病で本当にやる気が起きない、どうしようもない時というのはこのようなことが考えられないことが多いです。本当にしっかりと休んでもらうことが必要な時期であると考える事もできます。

しかしそのような時期を越えてくると、自分のことについて考える余裕が少し出てくることになり今の自分の状況を見て情けないと感じてしまうことになります。立場が高い人や自分自身にプライドが高い人、真面目な人ほど自分の今の状況を見つめることが辛く、責めてしまうことが多いです。

そのようなことの延長線上であり、最悪な事態として自殺があります。自殺をしようと思っていることを周囲に伝え、自殺を止めてほしいと考える人も確かにいますが、固い決意で自殺へ足を運んでしまう人もいます。元気であるような姿が最後の姿になってしまうすらあります。

うつ病で怖い面の一つがこの自殺と言えるでしょう。良くなってきたと周囲の人が思っている分、周囲の人に与える影響も強く、逆に周囲の人が精神的に大きな支障をきたしてしまうということもあります。このようなことを防ぐ為に社会的に動きも出てきています。多くの問題を抱えている今の社会ではより活発な動きが必要になってくると言えるでしょう。

うつ病で少し良くなってきている人に対して、良くなってきているねと声をかけることが逆にプレッシャーになってしまうこともあります。周囲の人に良くなっていると思われ、普通の人にように話される事に大きな不安を感じる人もいます。それを恐れて、良くなることに大きな不安感を覚えてしまいストレスになってしまうことがあります。

症状をしっかり見ていき、様子を見る事も大切ですが、うつ病本人の様子をしっかりと見て接していくことが周囲の人にとって重要なことになります。些細な言葉がけがいっきに症状を呼び戻してしまう危険性をうつは持っていると言えますが、多くの場合症状にとらわれすぎた声かけをしてしまうことでそのようなことが起こってきます。

ある程度それまでの関係性をしっかりと踏まえて、接していくことも大切なことになります。自殺に関して言えば、過剰に安心しすぎないことや、様子が少し違う時に気をかけておくなどして、うつの人の力になっていることを示していくことも時と場合によってに、必要なことになっていきます。

興味がなくなるのもうつの信号!自分の好きなものがなくなる場合

自分の好きなもの、興味のあるものは生活の中で大きな良い刺激となっていきます。疲れていたとしても好きなものであればやる気力がわいてきて、また同時に良いリフレッシュにもなっていきます。大人になればなるほど趣味と呼べるものを見つけるのが難しくなってしまう傾向があり、現代では趣味を持たない人も意外と少なくありません。

子どもの時であれば人目を気にしないで好きなことをしていくことはできるものですが、大人になるとやはり人目は気になってしまうものです。大人になっても自分の好きなものはずっともっておきたいものと言えます。

好きなものや興味がなくなってしまうということを考えることができない人もいるかもしれません。しかし社会で一般的になりつつあるうつ病の症状を抱えてしまうと、趣味をなくしてしまったり、楽しいことをすることができなくなってしまうということはあります。

それまでしっかりと趣味として確立してきたものであっても、関心がもてなくなってしまったり、楽しめなくなってしまうということです。これは症状を抱えている人にとっては大きな影響を感じられない事も多いのですが、当然関心が薄まってしまったことを自覚して自分に何か変化が起こっているのではないかと考える人もいます。

趣味や楽しみがなくなってしまう生活というのは想像以上に厳しいものと言えます。何か辛いことがあっても楽しみがある、楽なことがあると思えるからこそそれを乗り越えていくことができるものです。まさにそれがなくなってしまう事になると言えます。

そのため辛い現状から抜け出すことが困難になってしまったり、社会的に影響が出てきてしまうということになります。解決するためには楽しみを見つけるだけでよいと簡単に考える事も当然できます。しかし自分の関心のあったものに対してまで関心を示せなくなってしまったような状態で、何かに関心を持ってもらうというのは困難がことが多いですそのためそう簡単に解決できるものではないと考える事もできます。

大人になればなるほどどうやって楽しみを見つけていたのかということがわからなくなってしまうものです。そのような面では子どものほうがずっと器用であると考える事もできます。社会などにおける責任の大きさなどが足かせになってしまっている人も多いかもしれません。時には自由になって楽しみを一生懸命見つけようとするのも現代の大人の人にとっては大切なリフレッシュになるのではないでしょうか。

偏食が出てきたら注意?食事も大切なステータス

疲れていたり、ストレスが溜まっていると偏食をしてしまうものです。食べたいものを食べてストレスを発散する事ができるので、余計に偏食になってしまうこともあります。食べることをストレス発散にしている人は、ストレスを感じていない時の食生活をしっかり考えておく必要があると言えるでしょう。

偏食と言うと食べ過ぎというイメージをもってしまう人も多いと思いますが、食事をほとんどしないにもかかわらず、毎日お菓子だけ少しずつ食べるというのも偏食になっていきます。そのため食欲がわかない人も偏食になってしまうことがあると言えるでしょう。

バランスの良い食事というのは栄養面において当然良い影響をもたらしてくれますが、精神的にも良い影響をもたらしてくれます。食事を食べて楽しむだけでなく、見て楽しむことができたり、また色々なものを食べるということでより多くの満足感を得ることができます。当然栄養の中には精神的な健康に良く働いてくれるものもあり、心身の健康には欠かせないものになっていきます。

偏食であると単純に食べる楽しみしかなくなってしまい、栄養も偏ってしまうことで精神的な健康にも大きな影響が出てしまいます。偏食であると食欲が異常にわいてしまったり、逆に低下してしまうこともあります。

うつ病の症状として偏食や食欲の低下、増加などがあります。物を食べれないよりも食べれるほうがまだ良いと考えることもできますが、偏食の影響をより強く受けてしまうことなどを考慮すると、一概にそうとは言えないものがあります。

食べ物を食べない、偏った食事でも大丈夫というのは本来人が生きていくための機能が上手く働いていないことになります。食事が上手くできるかどうかというのは精神的な健康の面でも非常に重要なステータスになっていくと言えるでしょう。

食欲がない時期は誰にでもあるとは言えますが、そのままで良いことはありません。うつ病の人も当然同じようなことが言えます。どうしても栄養の補給が上手くいかないという場合は医療機関の力を借りる必要があります。

精神的な状態によっては食べたくても食べられないというような状態が起こってしまうことはあります。そのような状態をほったらかしにしておくのは非常につらい事になります。活力を出そうと思っても、活力の源となるエネルギーの補給ができない事になるので、根本的に、体を動かせない状態になってしまうと言えるでしょう。